琉球独立 ――その言葉に込められたファイティングスピリッツ

 沖縄なんて、敵も味方も入り乱れていて、「沖縄県民」なんて一括りにするのは本当に何も知らないひとだなと思います。
 反差別活動(差別はやめろと叫ぶこと)で、本当にマイノリティは助かるのか――?
 もっと寄り添うべきではないのか――?
 という論点は反差別活動を批判するひとに「これがコイツらの急所だろう」と誤解されています。
 そして批判者や左翼評論家は得意気にそこを腫れ物だと思って弄るのです。

 ――社会正義の代執行なのです。
 何がいけなかったかと言うと、旧来の左翼が杓子定規すぎるのです。
 いま、高市内閣を筆頭に独裁が進み、公儀公論が、――これを認めたくない人は腐るほどいますが、左派が元々陣取っていた位置にずれ込んでいるのです。
 今、左翼が、自分達の専売特許だと思っていた言論が大勢の人の手で取り扱われて、直接民主制のような公共性の領域に化けているのですよ。

 ――言論は自由。ただし共生を目的とせよ。

 私はこれを訴え続けていますけれど、確かに「共生ってなんだろうな」と考えさせられます。

 ――しかしですよ!
 沖縄で「琉球独立」と訴える人たちは、共生を目的としていないのではないか――?
 そんな屁理屈はやめて頂きたいです。
「本当に独立しちゃったらどうするのか?」
 そう思っているなら、言われている側に大いなる責任があるでしょう。
 これを共生を目的とする言論と見なすのは、マジョリティ側の責務だ。

 マジョリティにいながら、場をホストするアビリティのない人間に、「もっと下がいるよ」とマイノリティを差し出す政治が一番悪い。

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