はじめに
熊本地震の直後、SNSには「外国人が略奪する」「外国人犯罪が増える」といった投稿が相次いだと報じられています。
しかし、熊本県警は「外国人犯罪が増えている事実は確認していない」としています。
こうした現象は、阪神・淡路大震災、東日本大震災、能登半島地震などでも繰り返されてきました。
つまり、「外国人犯罪が増えた」という事実ではなく、「外国人犯罪が増えたというデマ」が毎回発生しているのです。
外国人を攻撃しても何も解決しない
災害で生活が苦しくなる。
仕事がなくなる。
治安への不安が高まる。
こうした状況では、人は原因を探そうとします。
しかし、その矛先が外国人個人へ向かってしまえば、本当の問題は見えなくなります。
外国人は、日本政府が設計した制度の中で働いているだけです。
技能実習制度も、特定技能制度も、外国人本人が勝手に作った制度ではありません。
外国人を攻撃したところで、制度は変わりません。
むしろ、制度を維持したい側にとっては、都合のよい「スケープゴート」が生まれるだけです。
本当に議論すべきなのは経済構造ではないか
近年、日本では「人手不足だから外国人労働者が必要だ」という説明が繰り返されています。
しかし、本当に人手不足なのでしょうか。
私はそう単純ではないと思います。
長年、日本では効率化や競争を重視する経済政策の中で、一部の成長企業へ資源が集中する一方、多くの産業では低賃金や人手不足が続いてきました。
その結果として、外国人労働者への依存が進んでいるという見方もできます。
もしこの構造そのものが問題なのであれば、議論すべきなのは外国人ではなく、日本の産業政策や労働政策です。
「外国人反対」と言いながら政策を支えてしまう矛盾
外国人労働者の受け入れに反対する人の中には、外国人そのものを攻撃する人もいます。
しかし、それでは政策への反対にはなりません。
本来問うべきは、
- なぜ低賃金産業が維持されているのか。
- なぜ人材育成より安価な労働力の確保が優先されるのか。
- なぜ国内労働者の待遇改善より外国人受け入れ拡大が選択されるのか。
という制度や政策です。
外国人個人を攻撃しても、その制度を変えることはできません。
むしろ、本来批判されるべき政策や経済構造への関心が薄れ、結果として現状維持を後押ししてしまう危険性すらあります。
デマは社会の問題を見えなくする
災害時には不安が広がります。
だからこそ、人は「誰かが悪い」と考えたくなるのかもしれません。
しかし、根拠のないデマは社会を混乱させ、本当に困っている人への支援を遅らせます。
外国人であれ日本人であれ、根拠のない疑惑で人を犯罪者扱いすることは、冷静な判断を妨げるだけです。
災害時こそ必要なのは、憶測ではなく事実です。
おわりに
外国人労働者の受け入れ政策に賛成するか反対するかは、それぞれの政治的立場によって異なります。
しかし、政策への反対と、外国人個人への差別はまったく別の問題です。
制度を変えたいのであれば、議論すべき相手は外国人ではありません。
日本の労働政策、産業政策、そして経済構造です。
怒りの矛先を間違えれば、本当に変えるべきものは何一つ変わりません。
感情ではなく構造を見ること。
それが、外国人問題を考える上でも、災害時のデマに向き合う上でも最も大切な姿勢ではないでしょうか。


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