何が差別で、何が差別でないのか――?
日頃、自由な言論の場で判定したり、認定してもナンセンスだと思います。
文言狩りのようになってしまうことを、私は一番嫌います。
ただ単に傷つくひとがいたらやめるべきではないでしょうか、――しかし、法令で禁止するとなるとそうも言っていられません。
そんなことを考えさせられます。
差別されているのは貧しい家の子なのか、自衛官になった人なのか曖昧ですが、いずれもやる側に転じる道が残されているので、うんと狭い意味では差別ではないです。大人になって豊かになったり、その後、自衛官を辞めたりして、叩く側に回れなくはないということです。もう少し言葉を選ぶと、つまり社会から差別自体がなくならなくても個人として被差別者ではなくなる可能性があるという意味です。
こういう広い意味では差別かもしれないけれど、狭い意味ではレッテル貼りに過ぎないものまで差別とみなしてしまうと、狭い意味での被差別者(外国人、障碍者、女性、LGBTQ+、在日コリアン ほか)が見落とされることになるので注意が必要だと感じています。彼らは要はやる側に転じることがほぼない系統の被差別者です。 ただ今、これを書いていて思ったのは、 「何を禁止したいのかわからない」というのは、あり得るなということです。

身分明かさず取材した「ルポ路上メシ」、困窮者らの抗議で回収に 出版社と著者に問われた「無自覚な偏見」:東京新聞デジタル
出版社の双葉社(東京都新宿区)は16日、生活困窮者や野宿者への差別を助長する危険性が非常に高いなどとして、ルポライター國友(くにとも)…


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